ごあいさつ

本日は第70回旧三商大写真展~創立85周年記念~へアクセスいただき、誠にありがとうございます。

旧三商大は東京商科大(現一橋大)、神戸商業大(現神戸大)、大阪商科大(現大阪市大)の三校からなり、部活動・サークル・ゼミの活動など、幅広い分野で交流を深めてきました。 このような地域的に幅広く、また歴史も深い大学間の交流は稀有な存在ではないでしょうか。 写真部においても、昭和10年より旧三商大写真展として、毎年夏に関東と関西において写真展を開催しております。

昨年は新型コロナウイルスにより開催が延期されましたが、今年はオンラインで2年ぶりに開催することができました。

今年は85周年記念ということで、『私たちの今』『大切なもの』『希望』の3つのテーマに分けて展示しております。 コロナ禍において私たちの生活は大きく変化しましたが、それは同時に今までの自分を見つめ直すいい機会にもなりました。 そのため、「見つめ直した先に得られた自分自身」を軸としてこれらのテーマを設定させて頂いております。 このテーマをもとに、各大学の現役部員や卒業生方々が切り取った珠玉の作品が多数展示されております。 従来と異なるオンラインという形ではございますが、そのために場所や時間の制約を受けることのない閲覧が可能になりました。 皆様のお好きな場所、お好きな時間帯で、どうぞ心行くまでごゆっくりご覧ください。

最後に、今回の写真展にご協力頂いた各校OB・OGの皆様に御礼申し上げ、結びの言葉とさせていただきます。

作品

旧三商大写真展の歴史

この歴史コーナーでは、旧三商大写真展のつながりがいかに始まり、戦争や学園紛争等による中断を経ていかに続いてきたか、 紡がれてきた歴史をご紹介いたします。一橋大学写真部創立80周年記念の特別号である『2013年度 写真部部報』の「歴史コーナー」 より一部抜粋してご紹介いたします 。画像資料や年表資料などをまとめて提供くださった一橋大学OB羽島賢一様(昭和33年卒)に御礼申し上げます。 また、下記の「四半世紀前の旧三商大活動について」を寄稿くださった一橋大学OB小池学伸様(平成10年卒)に御礼申し上げます。


戦前編 写真界が注目した三商大写真展


 写真部の三商大交流が始まったのは86 年前、1935年の秋である。 1933 年、東京商科大学(一橋大学)内に写真部「カメラアートクラブ」が設立された。 翌年に神戸商業大学(神戸大学)写真部「写真芸術研究会」が、さらに翌年の1935 年には大阪商科大学(大阪市立大学)写真部「カメラクラブ」が設立された。
そして早くもこの年(1935 年)の秋に、記念すべき第1回の「三商大写真展」が、東京・日本橋の小西六(後のコニカミノル タ)本店ホールにて開催されることになった。 3大学の写真部の作品が一堂に会したこの三商大写真展は、当時の格式ある写真雑誌であった『写真月報』や『アサヒカメラ』などに講評記事とともに展示作品が取り上げられた。 その後、東京で毎年1回開催されるようになっ た三商大写真展はアマチュア写真界をリードする役割を果たすこととなった。

 各大学、高等専門学校などの写真部活動が始動した戦前、写真は高価な機材を必要としたため、一般大衆には容易に手の届かない趣味だった。 純粋に作品として撮影を行う学生写真が写真界に大きな影響を与えていたのである。自由テーマで学生自らが主催する写真展だった三商大写真展は、 こうして世間の注目を集めることとなった。 しかし、1941年、三商大写真展は、東京・銀座の三越で開催された第7回を最後に、休止を余儀なくされた。 日本は、戦争一色になり、写真どころか学生生活すらも危うい時代へと突入していったからである。 繰り上げ卒業や学徒出陣といった時代の波にのみ込まれ、三商大の写真部交流は、この時を境に途絶えてしまった。

資料1
第4回三商大展(昭和13年)展示作品
「立ち話」 伊藤達郎(神戸大学)

資料2
戦後第1回三商大展 アサヒカメラの
「写真展月評」(金丸重嶺氏)


戦後編 "偶然"が導いた戦後の三商大展復活


 歴史から一時期消滅していた三高大写真部の交流は、ある偶然の出来事から再開することになる。 1952年の春休み、戦後写真部I期生の 藤井質文氏(1953年卒)は、神田の古書店街で戦前発行の『アサヒカメラ』を偶然手にとり、 その中に掲載されていた東京商科大学写真部員 の作品とともに、三商大写真展の存在を知ることになったのである。 時を措かず、一橋大学写真部は、三商大写真展の復活を目指すようになった。 そして同年、大阪、神戸、東京で、ともに三越を会場に、朝日新聞社、富士写真フィルムの後援を得て、戦後第1回の写真展を開催。 「旧三商大写真展」として、3大学の交流が再 スタートした。 プロ写真家を審査員に招き、三校の対抗戦として学校賞、個人賞を設け、かなりの盛り上がりを見せた。

 アサヒカメラをはじめ、有力な月刊写真雑誌や写真評論家を含むフォト・ジャーナリズムと の接触、 朝日新聞社や富士写真フィルム㈱の後援を得て、「旧三商大写真展」そして一橋大学写真部は、再び、発展期を迎えた。 以来、毎年、東京、大阪、神戸の諸都市において開催され、さらに交流を深めていった。

資料3
戦後復活第1回三商大展(昭和27年)
「春雪」中澤達明(一橋大学)

資料4
戦後第1回三大学連合展ポスター
(旧三商大展)(昭和27年)


学園紛争による中断


 1968 年11 月、一橋大学において学園紛争が勃発する。 全学スト、団交、施設封鎖、等々の激動を経て、70 年1月に至り、ようやく解決した。 しかし、1969 年から旧三商大写真展は再び休止する。 この休止期間中、写真部の活動は卒業アルバム制作が中心となっていた。 しかし卒業生たちからの強い希望もあり、1975 年に 「旧三商大写真展」は再開、2度目の復活をすることになる。 第25回展が、東京は、渋谷緑屋および大阪は心斎橋フォトピアナニワでオープンした。

 以降現在に至るまで、毎年、東京および神戸/大阪において、「旧三商大写真展」を開催しており、また5年ごとの節目の年には、 各校写真部のOBも参加協力して3校合同の記念事業(記念写真展、合宿、海外撮影旅行)を開催、実施している。 2020年度は、本来85周年の記念展を行なう節目の年であったが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で翌年に持ち越しとなった。 1975年の再開以来、実に45年続いた三商展が一旦途切れたわけであるから、感染症の社会的影響の大きさは計り知れない。

 そして2021年度、その歴史を何とか未来へとつなごうと、三写真部が協議に協議を重ね、初のオンライン開催という試みがなされた。 持ち越された85周年記念に相応しいよう、大学間の連携とつながりを意識した構成となっている。 この先、いずれ新型コロナウイルスの感染拡大が収まった暁には、従来のギャラリー展示型開催に戻ると期待されるが、 このような状況下でも三商のつながりを絶やすまいと努力し、オンライン開催を実現させたことは意義深い。

資料5
戦後復活第2回三商大展(昭和28年)
「J.I.T.F.(国際見本市)と子供」
山本榮三(大阪市立大学)

資料6
戦後復活第2回三商大展(昭和28年)
個人賞「たそがれ」天野文彦(一橋大学)

資料7
第5回旧三商大展 優勝カップ

年表


年表1
1933~1959年

年表2
1960~1987年

年表3
1988~2010年

年表4
2010~2021年

「四半世紀前」の旧三商大活動について

一橋大学 平成10年卒 小池 学伸


 旧三商大活動85周年を振り返るにあたり、現役生より「20年前の旧三商大活動の様子」について、この度何か書くようにと仰せつかってしまったのだけれど、 自分が在籍していたのは1994年から1998年のことであり、もう四半世紀も昔のことであって、歳月の流れに憮然とするばかりである。

 この間、1995年には1月に阪神・淡路大震災、3月には地下鉄サリン事件が発生し、1997年11月には「山一ショック」が起こり、 現在に繋がるデフレ社会と、平成大不況の嚆矢となった。こうして見ると、「あの時期」はバブルの絶頂から平成の停滞へと繋がる、 いわば「時代の転機」だったのではないかとも感じられなくはないのだが、学生生活そのものについては平穏で、かく言うわたくしも勉強(及び就活)はそこそこに、 サークルは写真部にどっぷり浸かっていた……というわけでもなく、やはり写真部もそこそこ宜しくやっていた……というのが実情である。

 旧三商大との付き合いはというと、学生生活同様、今の学生たちと変わらなかったのではないかと思う。 毎年「写真展」と「合宿」がその中心にあって、その都度三々五々に集まって、写真を撮って、合評して、 酒を飲んで、愉しみ騒いで、何か物知ったような気持になる――。色々とあったけれど、その一つ一つを書き出してみると、 それは上記の形に終息していく。しかしながら、個々に思い出を手繰り寄せれば、一人一人の微妙な違いになって各自の頭に浮かび上がるのだろう。

 私の場合は、震災の時期と重なったこともあって、特に神戸に偏っていたようである。最初の三商大合宿では、県道128号線伊勢パールロードにて 神大軍団(誰とは言いません)運転の荒っぽい洗礼を受けつつ、震災直後であるのにのんびりと次の合宿の話をしていたのに驚いた。 翌年の三商展関西レセプションでは、有志で「青春18きっぷ」を使って、東海道線を各駅停車で西上し、列車が神戸市に近づくにつれて、 青ビニールシートで覆われた家並みが次々と現れ、震災の爪痕の大きさを感じつつ、レセプションの後は、定番のカラオケであったが、 そこも深更に追い出され、深夜営業のお好み焼き屋でそば焼きを喰らい、夜明けまで阪神三宮駅前のロータリーに座り込んで語らった。 思えば、屋外で夜を明かしたのはこれが初めてである。

 それ以外にも、神戸には三商交流で一、二度往復している。一度目は宿が決まらずに、新大阪発東京行の最終『のぞみ』で帰宅しているし、 二度目は神戸大の部室にお世話になった。阪急神戸線六甲駅からバスに乗って行くキャンパスは文字通り「山中」にあり、平野の林に囲まれた国立の「それ」 とは好対照であった。広い部室には畳が敷かれ、真中には炬燵が据えられて、24時間立居しても大丈夫な仕様で、冬場においても凍えたり遭難したりする心配は無さそうであったが、 トイレだけはグラウンドを隔てた反対側の遠くにあり、普段はどうしているのかと聞いたところ、「トイレか、トイレなら「大自然」の中でするんや!!」という答え。 そういえば、部室棟の陰に大きな板が立て掛けてあって、そこに何やら怪しげな「しみ」が付いていたな…と、合点がいった次第であった。

 以上が、私のささやかな三商大の記憶である。「三商大の実情」を纏めるようにと現役生に言われながら、結局「神戸の回想」になってしまった。 しかし、異なる地域に存在する複数の大学の、写真部同士がかくも長期に渡って交流を続けるというのは珍しいのではないか。 コロナ禍による活動制限は相変わらずではあるが、またこの活動がもとに戻ってくれることを願ってやまない所ではある。

ある日の部会-合評(1/2)
四半世紀前の部会の様子です。今とやっていることは一緒だと思います…。

ある日の部会-合評(2/2)
四半世紀前の部会の様子です。今とやっていることは一緒だと思います…。

新歓合宿での一コマ
当時の写真部の個性的な?面々。

対外展準備
当時の対外展は「渋谷東邦生命ビルホール」(現渋谷クロスタワー)にて開催するのが慣例でした。ネガの状態が悪く、傷だらけなのはご愛嬌。

最後の小平祭
小平校舎で行われた最後の小平祭写真展での一コマです。

旧部室棟(1/3)
当時の部室と暗室は、今とは異なり東キャンパス敷地内にありました。部室の汚れ方はお察しのとおり。
この部室棟は小池が卒業する直前の1998年1月に不審火で消失しました。

旧部室棟(2/3)
当時の部室と暗室は、今とは異なり東キャンパス敷地内にありました。部室の汚れ方はお察しのとおり。
この部室棟は小池が卒業する直前の1998年1月に不審火で消失しました。

旧部室棟(3/3)
当時の部室と暗室は、今とは異なり東キャンパス敷地内にありました。部室の汚れ方はお察しのとおり。
この部室棟は小池が卒業する直前の1998年1月に不審火で消失しました。

OB総会
OB総会の二次会?T先輩(H7)とのツーショットです。誰が撮ったのだろう。こんな写真が残っていたとは…。

旧三商大関西レセプション(1/3)
東京から「青春18きっぷ」を利用してはるばるやって来た神戸。レセプションからカラオケ、お好み屋となだれ込み、阪神三宮駅前で夜が明けたのは良い思い出です。
かりそめの集合写真 凌影会Tさんを中心に。となりの美人は大阪市大のTさんだったと思います。

旧三商大関西レセプション(2/3)
当時の現役のカット

旧三商大関西レセプション(3/3)
同上、完全に酔っ払っております(笑)

旧三商合宿(1/4)
この年の旧三商合宿は「伊勢二見ヶ浦」震災直後でしたが、神戸大の方々のパワーには圧倒されました・・・(汗)
神戸大の旧三商担当だったS氏 夜の懇親会にて(あえて名前を伏せておきます)

旧三商合宿(2/4)
懇親会のカット 右の女性のHさん(津田塾 H9卒)は今でも時々作品を出展してくれます。

旧三商合宿(3/4)
懇親会の様子 こうして見直すと随分と酔い乱れている様子が判るかと思います。
本当はもっとまずいカットもあるのですが、公表は控えさせて頂きます(笑)

旧三商合宿(4/4)
懇親会の翌日 JR二見浦駅にて 一番右が当時の小池です。 この日は中京圏を鉄道で回りつつ、その日発の「大垣夜行」(『ムーンライトながら』は翌1996年から運行開始)で東京駅に着き、そのまま帰宅したのですが、直後に「地下鉄サリン事件」がテレビで報じられていてびっくりしたのを思い出します。